ドーナツたべたい

まだ人生半分以上残ってるぞ!はしれ!

【2026年版】ワークマン不審者パーカーvsユニクロUVパーカー比較レポート|UVパーカーソムリエへの道

去年まで、ユニクロのUVパーカーを2枚着まわしていた。

今年、ワークマンの「不審者パーカー」とユニクロの新作UVパーカーを追加してしまった結果、毎日どれかしらのUVパーカーが私を日差しから守ってくれることとなった。

というかUVパーカーしか着てない。

UVパーカーのいいところはフードをかぶれば自然にうなじまでカバーされるという最高設計。

即採用。

気づけばUVパーカーコレクターの道を着々と歩んでいる。

ワークマンの「クールUVサンシェードパーカーEX+」(通称・不審者パーカー)は、去年激売れして地元の田舎店舗でも売り切れだった。

今年は首都圏に住む妹から「ネットで売り切れだからそっちの店舗にあったら買って送って」と6月中旬に連絡が来て、すぐに地元のワークマンへ。

在庫は各色サイズごとに3つくらいずつあって、妹の分と自分の分を確保。

せっかくだし、ワークマンとユニクロ、がっつり比較してみる。

どちらもUPF50+のUVカット性能は担保されているので、それ以外のポイントで見ていく。

ユニクロ ウルトラストレッチエアリズムUVカットフルジップパーカ

ユニクロ ウルトラストレッチエアリズムUVカットフルジップパーカ

  • 色:白 サイズ:L

  • 価格:定価2,990円(セール時1,990円)

綾瀬はるかが出ているCMみたいに、夏でも涼しく長袖パーカーを着こなせる一着。

白を買ったが、最初はあまりの白さに着るのをためらった。

何度か洗濯するうちにいい感じにくすんできて、いまはすっかりお気に入り。

とにかく生地がさらっさらで、接触冷感がすさまじい。

室内で着ているだけで寒いと感じることすらある。

「機能性とスタイリッシュさの実力、見せてきたなユニクロ」という感じ。

Lサイズでもかなりタイトな作りなので、インナーはキャミソール一枚がおすすめ。

これはアウターというよりトップスとして設計されている気がする。

腕まくりがちょっとしづらいくらいにはフィットする。

丈もジャストなのでおしりまで隠れるとかはない。

シルエット的に男性には向かない、女性向けアイテム。

フードは芯が入っているが、頭から滑り落ちにくい程度のレベル感。

セール時に1,900円になることが多いのでそのタイミングを狙えるとお得。

もう一枚欲しいくらいのポテンシャルだが、好みの色がなかなかなくて買い足せていない。

来年また白を買うかもしれない。

こんな人におすすめ:日常づかい・自転車通勤・とにかく涼しく着たい人

ユニクロ ウルトラストレッチエアリズムUVカットフルジップパーカ 表

ユニクロ ウルトラストレッチエアリズムUVカットフルジップパーカ 裏

ワークマン クールUVサンシェードパーカーEX+(通称:不審者パーカー)

  • 色:黒 サイズ:M

  • 価格:2,300円

名前の通り、フードをかぶってファスナーを全部閉めると顔を覆えるデザインが特徴。

ただし妹に使用感を聞いたところ、フルクローズでの使用はしていないとのこと。私も同感。

自転車で使うと見通しが悪くて危険なので、実用上は首元〜あご下くらいで留めて使うのが現実的。

素材は軽量ではなく、シルエットもスタイリッシュとはいえないので、街での羽織としての需要は少ない。

ただ、野外作業との相性は抜群。

ワークマンらしく「汚れてもいい」という安心感が強い。

フードの縁の芯がかなりがっしりしていて、洗濯して干すときにフードの重さを感じるほど。

その分、草取りなどの作業中にフードがずれない。

地味だけどこれが本当にありがたい。

都会では2026年も即完売したらしい。

2,300円という価格帯で話題のアイテムなら、とりあえず試してみたくなるのはわかる。

こんな人におすすめ:草取り・野外作業・スポーツ観戦など屋外でじっとしている場面が多い人

ワークマン クールUVサンシェードパーカーEX+ 表

ワークマン クールUVサンシェードパーカーEX+ 裏

まとめ:これは「どちらか」じゃなくて「両方」の話

ユニクロ ワークマン
価格 2,990円(セール1,990円) 2,300円
素材感 さらさら・接触冷感強め しっかり目
シルエット タイト・スタイリッシュ ゆったり・作業向け
フードの縁 標準的な芯 芯しっかり・ずれにくい
向いている場面 日常・自転車通勤・外出 草取り・野外作業・スポーツ観戦

日常使いはユニクロ、屋外作業はワークマン。

現在はユニクロパーカーを「エアリズムUVカットフェイスカバー」と組み合わせて自転車通勤に、ワークマンパーカーは草取り専用として稼働中。

どちらが優れているかという話ではない。用途がそもそも違う。だからこそ両方欲しくなるし、両方持つと最強になれる。

UVパーカーは、洗濯してもすぐ乾くから、本来は1枚でもいい。

それを4枚も集めちゃって……えーと、来年も新作が楽しみです。

ソーダストリーム7年目の本音|買ってよかった理由と正直な後悔ポイント

結論から言うと、7年使って後悔はゼロです。

炭酸ペットボトルを買う重さも、ゴミも、丸ごと消えました。

割引なしの正規価格で計算しても、ガス代は1日あたり約43円。

これより安く1リットルの炭酸水を買えるお店を、正直あまり知りません。

迷ってるなら、とりあえず飼ってみてほしい。

7年前、なぜ買ったか

うちのモデルはソースの赤。

うちの7年選手のソーダストリーム ソース 赤

手動で炭酸を調節できる、電気のいらない優秀な子です。

きっかけは記念日プレゼントに私が主人に贈りました。

家電量販店で購入。

ボトルは500mlを2本と1リットルを1本、一緒に買って、それも壊れずに現役。

ただ正直、1リットルはあまり出番がない。

500mlを2本ローテーションで使うのが我が家のスタイルで、いつも冷蔵庫にいます。

導入の最大の目的は、実はハイボールでした。

7年経った今も現役でその役目を果たしています。

ガスは2本セットで運用していて、2本とも空になったタイミングで交換に行っています。

買ってよかった①:ペットボトルのゴミが本当にゼロになった

もう炭酸を「買う」という行為をしなくなって久しくて、それが当たり前になりすぎて逆に忘れかけていたけど、改めて考えるとまじで最高。

買い物のとき、炭酸のペットボトルが重くて荷物になることがない。

「じゃあ配達にすればいいじゃん」と思ったそこのあなた。

ソーダストリームなら、そもそも段ボールのゴミも出ません。

あと地味に大きい変化として、私はもともと炭酸をそんなに飲む方じゃなかったんですが、ソーダストリームが来てから普通に炭酸を飲むようになりました。

お腹が膨れて満足感があるし、お風呂上がりにもちょうどいい。

それから、チューハイに自分で炭酸を足すようになったことで、悪酔いしにくくなったし、コスパもいい。

買ってよかった②:コスパのリアル

毎日だいたい1リットルの炭酸水を作っていて、ガス2本を使い切るのはだいたい4ヶ月くらいのペース。

徒歩10分圏内のケーズデンキに交換に行っています。

正直、この「交換場所が近い」というのは購入の決め手のひとつだったと思います。

遠かったら絶対めんどくさくなって続かない。

2本まとめて交換すると、ケーズデンキアプリでたまに配布される「3,000円以上お買い上げで使える500円クーポン」が使えるタイミングもあって、それもちょっとお得。

でも、あえてクーポンなしの正規価格で計算してみます。

ガスは2026年8月現在1本2,580円(税込)。

2本で5,160円、これを4ヶ月で使い切るペースなので、

5,160円 ÷ 4ヶ月 = 月1,290円 1,290円 ÷ 30日 ≈ 1日約43円

1日1リットルの炭酸水を作っている計算なので、要は「1リットル43円」で強炭酸水が作れているということです。

割引一切なしでこれなので、スーパーやコンビニで1リットルの炭酸水をこの値段以下で買える機会はほぼないと思います。

「重い買い物」と「ゴミ捨て」が丸ごと消えることも込みで考えたら、コスパは普通に強いです。

あと、ソーダストリームの公式スマホアプリを入れていて、交換管理がちょっと楽になるのと、前回いつ交換したかがわかるのでおすすめです。

正直なところ:ここは微妙かもというポイント

ゴリゴリの強炭酸しか受け付けない人には、ガス切れ間際のよわよわ炭酸はきっと無理だと思います。

私は微炭酸も全然許容できるタイプで、というか「ガス切れ間際のよわよわ→交換した瞬間のバチバチの強炭酸」という一連の流れごと愛しているところがあります。

もはや家族みたいな感覚で、そのくらい長い付き合いになってきました。

あと、こんなに交換場所が近いのに、それでも交換に行くのを忘れて「あ、切れてる…」ってなる日は、正直あります。これは完全に自分のせいですが。

メンテナンスは?7年壊れなかった?

メンテはほぼ一切していません。汚れたら拭くくらい。

壊れてはいないんですが、炭酸の強度を調節するランプの電池だけは切れました。

電池交換すればいいだけの話なんですが、7年もやっているとソーダストリーム上級者になってしまい、どのくらい炭酸が入ったか「音」で判断できるようになったので、そのまま電池交換せずに使っています。

これである意味、実質電池代すら不要になっているとも言える……単なるめんどくさがりとも言う。

ソーダストリームで炭酸を入れている様子

ものの数秒で炭酸が手に入るよろこび

こんな人にはおすすめ/こんな人には微妙

おすすめ

  • ペットボトルのゴミを大量に出すことに疲れている人

  • 炭酸ペットボトルを頻繁に買うというタスクから解放されたい人

  • 最寄りにガス交換所がある人

微妙かも

  • 強炭酸しか受け付けない人

  • ガス交換所が遠い人

まとめ

そういえば3年くらい前、Twitterでソーダストリームを推していたら、お酒好きのフォロワーが買ってくれたことがありました。

そのソーダストリームも、その後とても活躍していたようです。

やっぱり最初はお酒好きの強い味方だと思う。

まじで「もっと早く教えてくれよ!!」と言わせる自信があります。

機種は手動タイプがおすすめです(手動の方が安いし、電源がいらないのも実際便利)。

安心して買ってほしいし、万が一買って使わなかったとしても、そのソーダストリームはお近くのハイボール民にプレゼントしてください。

きっと喜んでソーダストリームの飼い主になってくれる人がいるはずです。

でも、まずはあなたがソーダストリームを飼ってみてください。

映画ちいかわグルメ|ココイチ・吉野家・しるこサンドを実食レポ ―公式コラボから"なんとなく人魚"な一品まで

映画が大ヒットな、ちいかわの夏。

わたしだってもちろん映画館に行ったもんね。

来場者特典第一弾の時にね。

目印アクセサリーは、ちいかわとラッコ先生をもらいました。

すぐに娘にとられて、今は娘の傘にくくり付けられています。(役に立ってよかった。)

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てから、なんとなく食欲まで映画に引っ張られている。

セブンイレブンでは、赤魚の煮付、カツカレーや貝汁をはじめとする様々な商品が世間を騒がせているし、くら寿司では去年に続いてちいかわコラボで巾着や湯呑なんかのプレゼントがあるみたいですね。

めじろおしで俄然ちいかわが好きになる!!

今回、公式コラボはもちろん、「これ絶対狙ってるでしょ」な実質コラボ、そしてシメはやっぱりしるこサンドまで、この数日で私が試したものを記録しておこうと思う。

1. ココイチ「オリジナル島カレー」(公式コラボ)

www.ichibanya.co.jp

メニュー カレーの他にコラボドリンクもある

島カレー 「島」を感じる

価格:1,210円(税込)

『ココイチ 映画ちいかわ カレー大作戦!!!』

まずは、ちいちゃんとハチワレのピックがかわいい。

ヒレカツが乗った"島盛り"ライスに、貝柱とあさり入りのカレーソース。

海のモチーフがちゃんと効いてて、コラボメニューとしての作り込みは感じた。

味自体は、正直いつものココイチの味。

奇をてらわない安定感。

オリジナルステッカー!スマホの裏に入れようかな

注文特典のオリジナルステッカーは全4種からランダムで、私が引いたのはカレーで突撃するシーン。

ラッコ先生の「ツタにやられる前に一度で決めるぞ!!」が勇ましい!

レシートで応募できるオリジナルデザインカレー皿にもダメもとで応募してみた。

2. 吉野家「牛・金目鯛の煮付け定食」(実質コラボ?)

[公式へのリンク]

www.yoshinoya.com

メニュー 言い逃れできない煮付け感

疑惑の煮付け定食 金目鯛は、ちいさい!!

価格:899円(税込)

これはもう、誰がどう見ても劇中の「煮付け」を意識してるとしか思えないメニュー。

SNSでも「狙っただろ」「タイミングで妙だな?」と話題になっていた。

この"言わないけど絶対リンクしてる"感じが逆に面白い。

実際食べてみると、煮付け自体は思っていたよりだいぶ小ぶり。

柔らかく甘じょっぱい味付けで、子ども向けの味付けかなという印象だった。

ただ骨がそこそこ多くて、油断できない。

食べている途中で何か口に当たって取り出してみたら、小さな鱗だった。

あの赤くてきれいな人魚のうろこを思い出さざるをえない。

人魚の煮付けというモチーフを考えると、変に生々しいというか、妙にリアルな洗礼を受けた気分になった。

番外編:しるこサンド

www.matsunaga-seika.co.jp

しるこサンド 愛させる老舗の味

しるこサンドを自分の金で買って食べたのは、実はこれが初めて。

正直あまり期待していなかったのだけれど、思っていたよりずっと美味しかった。

子どもの頃、おばあちゃんの家か何かで食べた記憶がうっすらあるくらいで、あの味に再会したような懐かしさがあった。

素朴なのに、意外と癖になる。

しるこサンドを追いかけて食べていた人魚、きっと同じ気持ちだったんじゃないかと思う。

派手さはないけど、気づいたらまた食べたくなる味。

まとめ

8/8からは映画来場者特典第2弾として、めちゃくちゃかわいいボンドロが配られていますが、興行収入もすさまじくこれを書いている時点で67億円突破しているとのこと。

ちいかわってすげ~!

去年川越のちいかわショップに行った時も感じたけど、このコンテンツの秘めたるパワーを目の当たりにしたっ!

映画はもちろん、厄介おたくの早口解釈を披露したいところですが、にわかの部類に入るので余計なことは言わないでおきます。

セイレーンが推しです。

まあでも、コラボや概念コラボ、そして映画に実際に出てきている商品を日常の範囲で楽しむのっていいよね。

映画を観終わってもこの大きなムーブメントの中に自分が存在していることがうれしいと感じるよね。

公式グッズが軒並み売り切れでも、楽しむ方法がたくさんあるってすてきです!

飼い主と獣―人斬り以蔵を読み直して気づいたこと

この記事は前半が『人斬り以蔵』の再読を通した以蔵論、後半が「なぜ武市先生は天誅に踏み込んだのか」という武市論、半分半分の内容です。

後半は史料による実証ではなく、個人的解釈です。

三年ぶりの再読

司馬遼太郎の『人斬り以蔵』を、三年ぶり、いやもっとぶりかもしれない、久しぶりに読み返した。

幕末四大人斬りの岡田以蔵の生い立ちから斬首によってその生涯を終えるまでを描いた、文庫本50ページくらいの短編小説。

最初にこの作品を読んだのは、岡田以蔵にはまっていた時期で、以蔵を主人公にした小説を手当たり次第に読んでいた頃だった。

峰隆一郎の『剣鬼・岡田以蔵』、秋山香乃の『雨に添う鬼』、西村望の『逃げた以蔵』、そして史料に基づいた評伝である松岡司の『正伝岡田以蔵』(FGOブームで再評価されて手に取った一冊)。

人斬り以蔵はその一冊だった。

当時の感想は、正直に言うと「冷たい」だった。

司馬の淡々とした筆致、俯瞰的な情景描写。

以蔵を扱った小説はどれも血と泥にまみれた暗さがあるけれど、その中でも司馬のものは別格に美しかった。

でも当時の私は、その美しさをうまく受け取れなくて、ただ「さらっとしていて、冷たい悲しさ」ばかりが目についてしまった。

司馬作品をたくさん読んできた今、読み返してみると、あの俯瞰的な視点は突き放しているのではなく、あえて距離を置くことで、人物の哀しみをより際立たせるための手法だったんだと気づいた。

以蔵のように、感情を饒舌に語れない、語る言葉を持たされなかった人間を描くときこそ、あの筆致が生きてくる。

行間に、隠れた情緒を今回はたくさん見つけることができた。

飼い主と獣

今回の再読でいちばん印象に残ったのは、以蔵の武市半平太に対する感情の変化だった。

土佐で以蔵が初めて武市先生の道場を訪れ、立ち会う場面がある。

門人たちを相手にしたときの以蔵はコテンパンに叩きのめす側だった。

でも武市先生と立ち会うと、一方的に打ち込まれる側に回ってしまう。

そのときの以蔵の心境を、司馬は「甘美な、いや、物狂しいほどに甘美な」と書く。

この表現に、今回は異常なほど心を掴まれた。

司馬遼太郎はいつも理知的で、俯瞰的で、美しい言葉選びをする作家だと思っているのに、ときどきこうやって、とてつもなく生々しい言葉を差し込んでくる。

「物狂しいほどに甘美」――この一語を、二人の関係性を決定づける言葉として選んでくる手つきに、司馬の恐ろしさを感じる。

単純に「愛」という使い古された言葉で片付けたくない感情だ。

もっと重い。

この道場でのシーンが、以蔵と武市先生の関係をきめてしまった。運命付けた、といっていい。

それが再読の私にはより響いた。

しかし慕っていたはずの武市先生を、以蔵は時が経つにつれて憎悪するようになり、ついには「死骸にしたい」とまで思うようになる。

最初に読んだときは、これがただただ辛かった。裏切られた、という単純な図式にしか見えなかったから。

でも今回読んで、違う見方ができた。

以蔵は武市先生という「飼い主」を妄信していたからこそ、詳細を教えてもらえないことに異常な憎悪を抱いたんじゃないか。

これは思春期の子どもが保護者に向けるいらだちの延長に近いものがある。

もちろん家族間で「殺したい」なんて物騒なことにはならないけれど、構造としては似ている。

自分の全部を預けているのに、相手は自分に全部を明かしてくれない。その非対称性が募っていく。

武市先生の以蔵への扱いも、同じ根から出ていたと思う。

他の同志にはぞんざいな扱いをする人ではないのに、以蔵に対してだけは距離感を誤る。

それは以蔵が唯一無二の存在だったからで、足軽だからと軽視するような態度も含めて、実は以蔵を殺しの現場から遠ざけたい、庇護下に置いておきたいという不器用な情から出ていたんじゃないか。

まあ、以蔵があまりに「獣」すぎて、飼い主としても相当持て余していたんだろうけど。

いっそ最初から飼うと決めなければ、以蔵は京都に行かずに済んだのかもしれない。

でも鬱屈として生きるより、たとえ人斬りとしてでも一瞬のきらめきを放つ生き方の方が良かったのか、それは私にはわからない。

ただ、以蔵は「人斬り以蔵」として現代にまで名を残すことになった。それが救いだったのか、消費されて終わっただけなのか。

なぜ武市先生は天誅に踏み込んだのか

私は武市半平太が大好きだ。

だからこそ、ずっと引っかかっていることがある。

まじめで、奥さん思いで、曲がったことが大嫌いなあの人が、なぜ天誅を主導するような血なまぐさい事態に踏み込んでいったのか。

「時代のせいだから仕方なかった」で済ませる解釈は好きじゃない。

それだと武市という人間の個別性が消えてしまう。

だから、すじの通った理由を自分なりに探してきた。

今のところの結論は、「これは久坂玄瑞の影響による」というものだ。

文久元年、江戸で長州藩の尊攘過激派リーダー・久坂玄瑞と武市先生は親しくなっている。

当時、久坂は亡き吉田松陰をいかに素晴らしい師であったかを、ほとんど布教のようにそこらじゅうで語っていた。

神の国としての日ノ本、尊皇攘夷思想、平田篤胤の霊の御柱にまつわる思想的な熱――そうしたものが一種のムーブメントとしてうねっていた時期でもある。

そこに拍車をかけていたのが、桜田門外の変という「成功体験」だった。

幕府の最高権力者である井伊直弼を、白昼堂々討ち取れてしまった。

この前例が、尊攘志士たちの間で暗殺という手段のハードルを一気に下げてしまったんじゃないか。

続け、と言わんばかりに、暗殺がほとんど美徳として高められていく空気があったと思う。

土佐は階級社会が厳しい。

天皇が治める正しく新しい世を作るためなら、悪い膿を出すことはむしろ神聖な行動だ――そういう論理が刷り込まれていった。

武市先生は規律に厳しく、リーダーシップもあった人だから、彼が統率する土佐勤王党の志士たちは、喜んで天誅を行い、それを本気で神聖な行動だと信じていたんじゃないだろうか。

武市先生自身が暗殺に加担する最初の事件は、吉田東洋暗殺だった。

あれは、正義のための戦いだと信じて踏み出した一歩だったはずだ。

そしてあの一線を越えた時点で、武市先生はもう後戻りできないことを、自分自身でわかっていたんじゃないかと思う。

文久元年の時点で、久坂と武市先生は「来年京都で落ち合おう」と言い合っている。

これはほぼ挙兵の約束だ。 戦えるやつを集めて京都に来い、ということだから。

久坂は武市先生より十歳年下だけれど、武市先生は久坂を純粋に尊敬していたと思う。

嫉妬をするような人だという印象はないから。

でも久坂にとって武市先生は、自分の大きな倒幕プロジェクトの、序盤の一端を担う駒の一つだったんじゃないか。

久坂という人は、他藩の人たちと本当に仲良くする一方で、腹の底ではまったく信用していない。

長州のことしか考えていない。

天誅で公家や幕府に精神的ダメージを与えながら、懐柔できる公家には取り入って偽勅を出させ、幕府を弱めて長州が実権を握る――過激だけど、恐ろしく整合性のある設計図だ。

そしてその設計図の中で、天誅は必須のパーツだった。

つまり武市先生は、久坂が描いた長州のタイムラインに、土佐ごと巻き込まれていった側面がある。

それでも、武市先生は自分の器をわかっていた人だと思う

ただ、私は武市先生をただ利用された哀れな人だとは思っていない。

むしろ、自分の器をちゃんとわかっていた人だったんじゃないか。

坂本龍馬のことを、武市先生は昔から「こいつはすごい奴になる」と評価していた。

でも最終的に龍馬と行動を共にすることはない。

それは、龍馬は龍馬のやり方で世界を変えられる、と心のどこかで思っていたからじゃないか。

自分にはここまでしかできないけれど、自分の仕事をしよう――そう思っていたんじゃないかと思う。

天誅を主導するというのは、今の世の中の感覚からすれば悲しい役回りに見える。

でも武市先生はそれを、世界を変えるための一助だと本気で信じていたんだと思う。

龍馬が別の場所で世界を変えようとしていたように、自分は自分の持ち場で世界を変えようとしていた。

同じ目的の中での、役割分担の違いでしかなかったんじゃないか。

そう考えると、武市先生の悲劇は「時代に流された」という話ではなく、「自分の役割を誠実に全うした結果、後世からは最も割に合わない役柄を引き受けることになった」という、もっと個別的な悲劇として見えてくる。

これは史料に裏付けのある話ではなく、私が武市先生という人物をずっと見つめてきた末にたどり着いた、ただの解釈にすぎない。

それでも、これは私の中では幕末史を読み解く上での根幹の一部になっている。だからここに書き残しておく。

あと、いつも武市先生が暗殺テロリーダーで悪の組織の親玉だと思われているのはやっぱ悲しいので。

いや、それもひっくり返しようもない事実でもあるけど、わたし、武市先生が好きです。

『王城の護衛者』感想——貧乏くじを引かされても、筋を通した男・松平容保

幕末というと、どうしても倒幕派の志士たちのヒーロー譚か、あるいはイケメン揃いの新選組の青春群像として語られることが多い。

でも司馬遼太郎の『王城の護衛者』は、そのどちらでもない。

時代の奔流にほぼ一方的に押し流され、貧乏くじを引かされ、最後には殲滅に近い扱いを受けた会津藩主・松平容保の視点から見る幕末である。

かなりキツい。

会津ファンでなくても、これは新鮮だった。

倒幕派側から見ていた幕末が、急に立体的に見えてくる。

そして読み終えて残るのは、爽快感でも達成感でもなく、マイルドな表現をするならそれは「切なさ」だろう。

会津藩という宿命

会津藩の成り立ちからしてすでに数奇なものがある。

初代藩主・保科正之は二代将軍の落し胤として市井に生まれ、のちに保科家の養子となって会津を治めることになった人物だ。

将軍家光——実の兄弟にあたる——が臨終の際に会津藩主に託した言葉に深く感激した正之は、自らが世を去るときに家訓としてこう遺した。

「決して将軍に二心を抱くな。そのような者は我が子孫ではない」と。

松平容保はその9代目にあたる。

養子として会津に入った身でありながら、生真面目にこの家訓を絶対のものとして守り通そうとする。

血のつながりがないからこそ、かえって裏切れない。

この構造こそが、のちに容保と会津藩を破滅に近いところまで追い込む原因になっていくのだから、皮肉としか言いようがない。

作中の容保は、とても優秀で寡黙だが芯の強い人物として描かれる。

策を弄することを嫌い、それを恥ずべきことだとすら考えている。

側室も置かない。

わたしが会津若松城を何度も訪れ、容保の写真を目にするたびに思うのだが、彼は本当に容姿端麗で若く美しい殿様だったのだと思う。

その端正な佇まいと、生涯を通じて貫いた不器用なまでの実直さのギャップが、この人物の悲劇性を余計に際立たせているように感じる。

京都守護職という貧乏くじ

物語の転機は、京都守護職という新設役職を容保が引き受けてしまうところから始まる。

松平春嶽(政事総裁職)も徳川慶喜(将軍後見職)も、容保と同じ御親藩の出身でありながら本来は幕政に関わるべき立場ではなかった。

しかし幕末の混乱がそれを許さず、両者は新設役職に就く。

そしてその流れで、容保にも京都守護職への就任が強く求められることになる。

容保は当然、辞退を試みる。

だが春嶽と慶喜に押し切られ、結局は受けてしまう。

会津の家臣団はこぞって猛反対した。

その象徴的な場面が、家老・西郷頼母が必死に容保にすがりつく場面だ。

ここを読みながら、頼母の一族がのちに会津戦争でどれほど悲惨な最期を迎えることになるかを知っている身としては、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。

頼母は止めようとしていたのに、結局その通りになる。

そして頼母自身は、この時点ではまだ自分の家族に何が起こるかを想像すらしていない。

その温度差が、たまらなく苦しい。

結局、会津藩は京都で死ぬ覚悟を決めて、京都守護職を受けることになる。

京都に着いてからの容保は、実働部隊を持たないことに苦しめられる。

当時、荒廃し天誅が横行する京で浪士の取り締まりは既存の奉行所や旗本ではまるで役に立たなかった。

事件が起きても現場を包囲して瓦を落とすだけで、結局踏み込むのは会津藩士という有様だ。

しかし治安維持の実働は本来「不浄の仕事」とされ、藩がやるべきことではない。

そこに渡りに船とばかりに現れたのが新選組で、会津藩預かりという形で上洛してくる。

孝明天皇との絆——宸翰のシーン

この物語で最も心を動かされたのは、孝明天皇と容保の関係だ。

天皇は容保より4つ年上で、初めて拝謁したときから馬が合い、天皇の御衣である「おんぞ」を賜るほどの信頼を得る。

一方で、長州藩とそれに結託した過激派公家は、天皇そっちのけで偽の勅旨を連発する。

当の天皇には何の権限もない状態だ。

孝明天皇自身は攘夷派というより、夷人はうとましいが打ち払うのも嫌で、できることならただ静かに消えてなくなってほしいと考えているような人物として描かれる。

それなのに、長州と長州派公家はやりたい放題を続ける中、天皇が信頼していた14代将軍・家茂まで江戸に帰ってしまう。

そして今度はそれを口実に、会津まで京都から追い出そうと偽の勅を出す。

これに対し天皇は、秘密裏に容保へ宸翰を渡す。

近衛家を通じて会津藩兵に託されたその宸翰には、「あれは偽勅だから信じてはならない。

私は容保に京都にいてほしいのだ」という趣旨が記されていた。

容保がこれを受け取り、「一生忘れない」という思いで感激する場面は、この作品で最も美しく、そして最も切ないシーンだと思う。

「うるわしい会津さま」から恐怖の対象へ

新選組の活動が激化していくのと呼応するように、京の民衆が容保に向ける眼差しも変わっていく。

当初の「うるわしい会津さま」というイメージは、次第に恐ろしいものへと反転していく。

八月十八日の政変で長州が京都から追われると、長州にとって容保は「日本における最大の奸物」という扱いを受けるようになる。

正直なところ、作中でもこのあたりから会津戦争に至るまでの展開は駆け足で、さらっと書かれている印象を受けた。

それでも——いや、むしろそれでよかったのだと思う。

この作品はあくまで容保個人の生涯の立ち回りに焦点を当てていて、それだけですでに十分すぎるほど悲しい。

もしここに会津戦争そのものの悲惨さまで描き込まれていたら、読んでいて立ち直れなかったかもしれない。

会津戦争の凄惨さについては、大河ドラマ『八重の桜』を履修済みなので、行間からその影がちらついて見えるだけで十分だった。

慶喜という「才気はあるが好かれない男」

慶喜については、個人的には決して嫌いではない。

ただ、人に好かれるタイプの人間でもないと思う。

特に容保のように実直で情にほだされやすい性質の人からすれば、彼の在り方は受け入れがたいものだったはずだ。

慶喜の有能さと人としての信頼できなさは、常に同居している。

頭の回転も政治的な読みも図抜けているのに、それがむしろ「この人は土壇場で何をするかわからない」という不安につながってしまう。

それを象徴するのが、大阪城での「にげる」の場面だ。

慶喜が敵前逃亡を図ったこと自体は、幕末史における最大級の謎というか汚点として以前から知っていた。

しかし容保の視点を通して読むと、その理不尽さがまったく違う重みで迫ってくる。

しかも慶喜は、逃げると言い出す直前まで幕府軍の士気を鼓舞するような言葉をかけていた。

それなのに突然の豹変。あまりに意味がわからず、容保と同じように「??????!!!???」としか反応のしようがなかった。

いつもこの「ハイパー頭のいい」15代将軍に振り回されてきた容保が、この瞬間だけは言い返す言葉すら見つけられなかった、というのがよくわかる。

江戸に戻ってからも、慶喜の掌返しは続く。

錦の御旗が翻ったあとの容保と会津藩は、今度は「血で汚れた者たち」として慶喜に邪魔者扱いされることになる。

このあたりは『燃えよ剣』の土方の扱われ方とよく似ている構図だと思う。

江戸城への登城すら禁じられた容保は、七年ぶりに会津若松の鶴ヶ城へと戻ることになる。

家臣たちのこと

西郷頼母のほかにも印象に残った人物として、容保の側近として活躍した秋月悌次郎がいる。

『八重の桜』で名前は知っていたが、本作でもその有能さが随所ににじんでいた。

容保の死後、彼が肌身離さず持っていた竹筒——中には孝明天皇からのあの宸翰が収められていた——が見つかったのち、秋月はこの異様さを「御怨念」と捉えた。

わたしには生真面目な容保のイメージと「怨念」という言葉が、自分の中でどうしても結びつかない。

それでも、そばで見ていた秋月がそう感じてしまうほどの凄絶さを、容保という人は内側に抱えて生きていたのかもしれない。

宸翰の存在を知った長州出身の知人を通じてこの話は山縣有朋の耳にも届き、山縣は五万円でこれを買い取ろうとしたが叶わなかったという。

松平家は今もこの宸翰を東京の銀行に預けているとのことだ。

その中身は、孝明天皇が容保への信頼と忠誠への喜びを綴った私信と、長州とその係累の公家を奸賊として厳しく罵倒する文面だったという。

晩年、そして死

会津に戻った容保を待っていたのは、京都からの度重なる嘆願も受け入れられないまま突入する会津戦争であり、敗戦であり、その後の斗南藩での辛酸であった。

東京目黒に移り住み、明治二十六年十二月五日、59歳でその生涯を閉じる。

ほとんど人と会わずに過ごしたという晩年、容保は「なんすれぞ大樹」という一節から始まる漢詩を遺している。

これを知ったとき、本当に胸が締め付けられた。

読み終えて

同じ司馬遼太郎の『燃えよ剣』が、悲しみの中にもがむしゃらな青春の熱を感じさせる作品だったのに対して、『王城の護衛者』はただひたすらに切ない。

偽勅を連発する過激派公家たちのことは、正直どうしても許せない気持ちになった。

孝明天皇の立場がまるでない。

尊王攘夷とは一体何だったのか、天皇を敬う気持ちなど微塵も感じられない振る舞いばかりが目につく。

当時の尊攘志士、とりわけ長州の過激派がいかに策を弄して幕府を、そして時に朝廷そのものを困らせていたかが、この作品を通して浮き彫りになった。

司馬遼太郎自身がこの尊攘過激派たちをどう見ていたのか、個人的にとても気になるところだ。

会津藩の精強さと愚直さ、そして容保が最後まで曲げなかった「二心を抱くな」という一念。

あれだけの罪もない人々を死なせてなお生き続けたことが信じられない、という意見も聞いたことがある。

それでも私は、孝明天皇との絆が、容保を自死に追い込まずに済ませた一因だったのではないかと思っている。

不器用でも、筋の通った男だった。

策など弄せず、ただ愚直に忠義を全うしただけの人生に、これほどまでの悲劇が用意されているというのは、あまりに理不尽だ。

それでも——いや、だからこそ——この本を、会津びいきの人だけでなく、倒幕派に肩入れしてきた人にこそ読んでほしいと思う。

幕末を、平面ではなく立体で見られるようになるはずだ。

ただし一つだけ警告しておきたい。

この本を読むと、容保のことは好きになれても、慶喜の頭の回転の良さに免疫のない人には、確実に「慶喜アレルギー」が出来上がってしまうかもしれない。

まあ、大河ドラマ「青天を衝け」履修済みの私は慶喜くんを嫌いになったりはしませんが……