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【ネタバレ書評】『利休にたずねよ』感想【直木賞受賞作品】

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これは利休という男がした忘れられない恋の話。それにまつわる人々の心。

 

 

山本兼一の第140回直木賞受賞作品『利休にたずねよ』を、本日読了した。

本を読んだのは実に10年ぶりかもしれない。

そこまで私は普段から活字に苦手意識を持って避けている。

読むきっかけは、亡くなった祖母の本棚にこの本があったことだ。

広くはない棚の中で背表紙の厚みが他と比べても存在感がり、ずっとそこにあるのを知っていたが、風景になっていたそれに手を伸ばしたのは気まぐれだ。

それが昨年の秋だから、実に4か月くらいかけてやっと一冊を読み上げた。我ながら、遅い。

まあそれもいい。

 

ここからはつらつらと記録のための感想である。あらすじは書かない。

序盤牛歩で一日20ページくらいずつ読んでいたが、章ごとに時間を遡り主人公が変わることで妙なリアリティを感じ、読みやすかった。

ただ、時代背景や主軸がわかっていないと時間の遡りについていけない時があったので、もしもう一度読む機会があるのなら、章ごとに後ろから読んでみたい。

これはThe ChainsmokersBebe Rexhaの「Call You Mine」ミュージックビデオを逆再生で見た時の気持ちを味わいたいからだ。

以下、思いついたままいくつかの項目について書くことにする。

茶の湯

茶をたて、喫するシーンがどれも文句なしにきれいな一枚の絵だ。美術館にいる気分になる。

茶碗だけでなく花、掛け軸、花入れ、壁、柱、炉、茶筅茶杓、袱紗、釜、庭。

茶の湯がわからなくても、茶道具や茶室のしつらえ、もっと言えば禅や仏教、諸行無常の人生観についてよく理解した気になった。もっと学びたいという気にさせられる。

またそれぞれのうつくしさを見せつけられることは、それがおのおのの生き様に通じているようにみえた。

北野大茶会について、どういうものなのか想像が難しかったが、金持ちも貧乏人も混ぜこぜにした茶の湯テーマパークみたいなものかと妄想した。

また茶の付け合わせや料理が毎度美味そう。確か二度登場する高麗の料理は、異国情緒あふれ優美な印象がつよい。

 

秀吉

傲慢で下品な太閤様かと思いきや、やはり天下取りは天下取りだな、と思い知らされた。

利休が選んだのではなく、秀吉の審美眼は利休を見抜いていたのだ。

秀吉は無暗に奪うひとではない。天下取りだけにそなわった本能と勘、采配で『選んで』いるのだなあ。

黄金の茶室も、成り上がりのいやみよりも、苛烈で圧倒的な魂の力はうつくしさをも醸すのだと感じた。

信長も登場するがあまり尺はないのもあってか、秀吉がかっこいい。

 

女たち

利休は好色で女の扱いがうまい。

金と器量に余裕があるからだ。そういう男はいい。

私もその時代に生きたなら、そういう男の妾になりたいが、器ではないな。女の扱いがうまい男には、かしこい女が寄り添うと決まっている。

宗恩もたえもおちょうも、高麗の女も全然違うようで一貫性があるように感じた。

利休に惚れている点においては、秀吉もそのように感じた。

宗恩とたえをみていると、女というのは私も含めて嫉妬深い。自然なすがただ。

おちょうと宗恩について。浜の小屋で女を殺して、その女をおもって木槿が咲く時期には似た女を抱く利休。それに何の意味もないのを知って、それでもそうしたかったのかと思う。あの時できなかったことをしたかったのかなと。

 

終盤

高麗の女との出会いから逃避行、茶での心中の失敗、宗恩が緑釉の小壺を投げ割るシーンまでページをめくる指がとまらなかった。

あんなに遅々として進まなかったのに、140ページを一日で読み上げることができた。読ませるだけの文章だったと言っていい。

利休が、女が死んだあと毒入りの茶を飲めないシーンがとてもよかった。

頭を丸めて武野紹鴎の新しい茶室をおとずれたとき、女のことは夢だったのか、と思うシーン。本当にそんな風が吹いたような気がした。利休に夢でないと信じさせることができるのは、懐の緑釉の香合におさまった小指と木槿だけ。

宗恩が利休の形見ともいえる香合をためらいなく壊すのがよい。もう利休はいない。利休の好み通りにふるまう義理はないのだ。

 

 

まとめ・さいごに

生涯一うつくしいトラウマは、男の精神を育てた。

また、あの時から利休の魂は浜の小屋に、ひとり取り残されている。

誰もかなわない隙のない完璧な美しさの定義をもっていて、なのに、自分こそが不足の美であると自嘲しているように見えた。

 

大徳寺の古渓宗陳に興味をもったので、わかりやすい本があったら見てみようかな。

三毒の話は思うところが多かったし、大徳寺を去ることにしたエピソードも禅僧としてのプライドを感じた。

現在時代物のショートストーリーを作ったりしているので、禅についてもっと知りたい。
表紙をめくりだしたのは4か月も前なので、序盤の展開を忘れてしまったのが残念。

 

思えば、亡くなった祖母もこの本を読んだんだろう。

巻末には2009年3月6版の印字があった。

祖母のがんが見つかる前だ。

読んだんだろうなあ、きっと。

おばあちゃん、この本、おもしろいね。